どうもおがわです。
今回は「武士道初心集」という武士道書をご紹介させていただきます。
現在では同時代に書かれた武士道書「葉隠」の方が圧倒的に有名ですが、江戸時代ではこの「武士道初心集」の方が広く藩士の教科書に使われたりするなど有名でした。
「武士道初心集」とはどんな武士道書なのでしょうか?
ではでは・・・
武道初心集(ぶどうしょしんしゅう)とは?
江戸時代に大道寺友山が晩年に記した兵法や儒学の教えを基に武士としての心構えを説いた武士の教育書です。
同じく武士道精神を記した「葉隠」と同時期に書かれたと言われています。
(藩によっては教科書として用いられた「武道初心集」と過激な内容もあり、禁書的な扱いだった「葉隠」は良く比較されます。)
太平の世になり、武士道精神が薄れてく下級武士に危機感を持った友山が、再教育する為に書いたと思われます。
「武道初心集」は長い書物ではなく、内容も道徳的であった事から、諸藩で広く藩士の教科書として利用されました。
■武道初心集(ぶどうしょしんしゅう)
著者:大道寺友山(だいどうじゆうざん)
大道寺友山(だいどうじ ゆうざん、寛永16年(1639年) - 享保15年11月2日(1730年12月11日))は、江戸時代の武士、兵法家。
山城国伏見の人で、諱を重祐、通称を孫九郎(大道寺氏嫡男代々の通称)と称した。
晩年に『武道初心集』『岩淵夜話』『落穂集』などを著す。後北条氏の重臣大道寺政繁の曾孫にあたる。
系図上、政繁長男の直繁-繁久-重祐(友山)となる。
寛永16年(1639年)、大道寺繁久の子として生まれる。
繁久は松平忠輝に仕えた元越後高田藩士であったが、高田松平家が元和2年(1616年)に改易されて以来浪人となっていた。
友山は長ずるに及んで江戸に出て、小幡景憲、北条氏長、山鹿素行らに師事して甲州流軍学を学び、軍学者として身を立てる。
その博識を買われ安芸広島藩浅野氏、会津藩松平氏の客分を経て、越前松平氏の福井藩に迎えられ、主に軍学を講じた。
引用:Wikipedia
武道初心集の内容
武道初心集は武士の心得を56項紹介しています。
儒教的な色が強く、道徳的だと言われている武道初心集ですが、「つねに死を思い、生をまっとうする」など葉隠と同じような内容も書かれております。
56項を紹介して、気になる項を簡単に解説しますね。
■武士が心得るべき56項
項 | 内容 |
1 | つねに死を思い.生をまっとうする |
2 | 勝負の心がまえを忘れるな |
3 | 治世の武士には学問も大切 |
4 | いたらぬ親にも尽くせ |
5 |
恥を知るものが義を守る |
6 | 心に道を、かたちに法を |
7 | 馬をえらばば |
8 | 主君のほうへは足をむけず |
9 | かげ口、口ごたえはもってのほか |
10 |
戦場を思えば骨惜しみはできぬ |
11 | 年功序列に甘えるな |
12 | 能力主義と精勤主義 |
13 | 主君のご威光を借りる法 |
14 | どこかで人に差をつけよ |
15 | 武士は死際が大切 |
16 | 学問、風流ともに大害 |
17 | 職務と私情を混同するな |
18 | 古手の役人は汚れた白小袖 |
19 | 親族関係のけじめ |
20 | 許されぬ転職先での旧主の悪口 |
21 | 「武士は食わねど」の心意気 |
22 | 後見人の心得 |
23 | 険約も御奉公のため |
24 | お家の歴史を知らぬは恥 |
25 | 遊び友達は無用 |
26 | 玄関は立派に、居間は粗末に |
27 | 勇者、不勇者の鑑別法 |
28 | 大口はたたいても悪口はいうな |
29 | 口ごたえも迎合もともに不忠 |
30 | 武士ほど高くつくものはない |
31 |
近所の不幸につつしみをわすれるな |
32 | 女房を殴るは臆病武士 |
33 | 奉公はその日限り、寸前は暗闇 |
34 | 主君のご紋章は大切に |
35 | 農工商を守るのが武士の努め |
36 | 経理、財務のお役目は敬遠せよ |
37 | 安請け合いは身を滅ぼす |
38 | 下っぱの時の心を忘れるな |
39 | 長生きも忠義のうち |
40 | 小身者は妻子を持つべからず |
41 | 禄盗人は罪は重い |
42 | 減棒されても苦情はいうな |
43 | つねに功名手柄を志すこと |
44 | 難しい命令こそきっぱりと受けよ |
45 | 無理なおことばにも逆らうな |
46 | 乗馬の楽しみ |
47 | 公用の旅は安全第一に |
48 | お供の心得 |
49 | 武具の用意はひごろから |
50 | 従卒の装備に心づかいを |
51 | 兵法の修業は徹底的に |
52 | 主君のお共で騒動に遭ったとき |
53 | お手討ちに立ち合う心得 |
54 | 骨折損を嘆くは不忠 |
55 | 戦略進言の責任は重大 |
56 | 殉死にまさる大忠節とは |
武道初心集5選 解説
武道初心集の中で紹介されたいる56項の武士の心得の中から、個人的に響いた5つを解説します。
ではでは・・・
①つねに死を思い.生をまっとうする
武士たるもの常に死を覚悟していなければなりません。
一日一日を今日限りという気持ちで過ごせば、忠孝二つの道を踏み外す事はありません。
忠孝の道を踏み外さなければ、災難や困難にも合わず、健康で長生きができます。
その上、人格まで立派になるのですから、この心掛けは武士にとって、とても大切な事になります。
次の名言はこの武士道精神に影響を受けていると思います。
②勝負の心がまえを忘れるな
武士は四六時中、勝負の心構えを持って過ごさなければなりません。
腰に刀剣を差しているのだから、いつでも勝負できる心構えがないと武士とは言えない。
それができていない者は町人や百姓とかわりません。
➂心に道を、かたちに法を
武士たるもの平素は学問に努めて、心を正しくし、その正しい心の道に従って正しい行動をする事大切です。
また、戦乱に備えて、武芸も怠ることなく、稽古しないと、いざという時に役には立ちません。
「文武両道」でなければ、立派な武士とはいえません。
④戦場を思えば骨惜しみはできぬ
武道初心集が書かれた時代は、戦のない平穏な時代でした。
武士はお勤めをする公務員のような存在でした。
人間はついつい不満を言ったり、さぼったりする動物です。
そのような武士を見て、大道寺友山はこう言いたかったのかもしれません。
⑤兵法の修業は徹底的に
兵法を学べば、知識と才能の二つが育っていきます。
しかし、兵法を修行しそこなって、悪い方に道を外して、人に悪い影響を与えるようになってしまう。
武士たるもの、兵法の勉強を中途半端で終わらせる事なく、生涯を通じて、その奥義を極めんと学んで行く必要があります。
葉隠とは対極の書!?
「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」という書き出しで有名は「葉隠(はがくれ)」と「武道初心集」は同時期に書かれた武士道の本と言う事で、よく比較されます。
現代では「葉隠」は有名で、「武道初心集」はほとんど知られていません。
しかし、江戸時代は「武道初心集」の方が広く、藩士の教科書として用いられ、「葉隠」は長く禁書的な扱いで普及しませんでした。
葉隠は巻頭に「この本を読んだ後は焼き捨ててしまえ!」と書かれている通り、「死狂い」など過激な表現が目立ったためです。
よく比較される二つの武士道書ですが、内容的に対局にあるわけでなく、「死を意識して、生きろ」など共通する部分が多いです。
しかし、先述の通り、葉隠の方が表現は激しい為、「死を称賛している」ように誤解をされる危険性は高いと思います。
↓こちらのブログもあわせてお読みください。
■葉隠(はがくれ)
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