どうも、おがわです。
今回は少し趣旨を変えて、白隠さんという禅僧の紹介をしたいと思います。
白隠さんが伝える養生法は、過去の剣豪たちも取り組んだと言われます。
「剣禅一如」とよく言いますが、禅と武道の繋がりは深いと思います。
今、道場に立てない中、過去に読んだ本を改めて読み返しており、
自分の中で消化する意味でも少しまとめて行きたいと思います。
白隠(はくいん)さんとは
まずは白隠さんのご紹介からさせていただこうと思います。
白隠さんは、正式には白隠慧鶴(はくいん えかく)という何とも難しいお名前だそうです。
江戸時代の中頃の偉い禅僧で、臨済宗中興の祖と言われているそうです。
ちなみに、こちらの画像は白隠さんが80歳さんが時の自画像です。
江戸時代という事を考えると、だいぶ長生きですね。
ちなみに83歳で亡くなられたとか・・・軟酥の法の効果なのか。
(江戸時代の平均寿命は32~44歳くらいだったのではと言われています。)
白隠さんの人柄が伝わってくるエピソードはいくつか残っており、
その中から、僕が好きなものを一つ紹介します。
白隠さんの子供と言われて・・・
むかし・・・むかし・・・のお話です。
白隠さんは立派なお坊さんとして人々から慕われていました。
ところがある日、嫁入り前の村娘が妊娠しました。
村娘の父親に「相手は誰か!」と彼女を問い詰めました。
村娘は、とっさに白隠さんなら父親も許してくれるだろうと思い、子供の父親は白隠さんだと嘘を言ってしまいます。
父親がカンカンに怒って白隠に問いただすと、
「ほう、そうか」
と言って、赤子を引き取って育てたそうです。
白隠さんの世間の評判は地に落ち、弟子も愛想をつかし去り、
寺を訪ねる者もなくなりました。
しかし、白隠は飄々(ひょうひょう)と子供を育て続けました。
一年が経ち・・・
娘は嘘をつき続けている事に、耐えられなくなり、本当のことを白状しました。
父親は驚いて、慌てて白隠禅師の下に来て詫びると、
「ほう、そうか」
と言って、赤子を返しました。
その結果
白隠さんの人気は以前より高まり、ますます人々が集まったそうです。
・・・・・・
いやはや・・・「ほう、そうか」で自分にふりかかる事を、言い訳をせず全て受け入れる器の大きさを感じるエピソードですね。
ここまで、人の目を気にせず、自然体で生きれたらと思いますが、なかなかできないものです。
いやはや・・・・・・・
白隠さんが「夜船閑話」で紹介した2つの養生法
「夜船閑話(やせんかんな)」は白隠さんの73歳の時に書かれた自伝的養生術の本です。
閑話は「無駄話」「静かに談話すること」という意味があるようですが、
私は「無駄話」としておく方がなんとなく白隠さんっぽいなと言う気がしています。
なので、夜船閑話は「夜の小舟の無駄話」とでもいった意味でしょうか。
情景が目に浮かぶようで、粋ですね。
実はこの「夜船閑話」の中で、下記の二つの養生法が紹介されています。
①軟酥の法(なんそのほう)
②内観の法(ないかんのほう)
では、なぜ禅僧である白隠さんが、養生法を紹介しているのか?
それは、座禅のやり過ぎで体調を悪くしてしまいます。
体調不良の白隠さんは謎の仙人に救われた?
白隠さんは座禅に熱心に取り組むあまり、体調を悪くしてしまします。
白隠さんの体調不良は「禅病」と言われています。
「禅病」は激しい頭痛やめまい、手足が冷え、そして、夜も寝れなくなるような症状のようです。
現在でいう、うつ病のような状態なのかもしれません。
(晩年の飄々とした印象とは違い、若い修業時代は誰よりもストイックな性格だったのかもしれません。)
白隠さんはこの病を治そうと、色々試みるのですが、どうしても改善されません。
そして、藁をもつかむ気持ちで、京都北白川の山中の岩窟に住んでいる「白幽仙人」に会いに行きます。
そこで「白幽仙人」に教わった軟酥の法・内観の法で長く苦しんだ禅病を克服するのです。
ちなみに、この「白幽仙人」は白隠さんに会った時に、年齢200歳をこえていたとも言われており、白隠さんが自分の話に真実味を持たせるために創作したのではないかという説もあります。
ちなみに亀仙人は300歳を超えています。←蛇足
■2つの白隠式養生術
①軟酥の法(なんそのほう)
すこし、前置きが長くなりましたが、
本題の軟酥の法について、紹介をしていきたいと思います。
「なんそ」とはなんそや!
「なんそ」とはなんそや!
というナイスミドルジョーク(親父ギャク)も決まったところで、淡々と解説を進めます。
軟酥(なんそ)とは牛乳を煮詰めて作った昔のバターのようなものです。
以前に私が読んだ解説本では、万病に効く妙薬とイメージしろと書かれていたと思います。
禅病は気が上に上がってしまっている状態なので、この軟酥の法はそれを下の下ろす効果があると解説されている方もおられます。
現在で言う「イメージ療法」のようなものなのかもしれません。
↓こちらyoutube動画です。椅子に座ったバージョンですが、分かりやすいので、ぜひ参考にしてくださいね。
②内観の法(ないかんのほう)
白隠さんの養生術はもう一つあります。
その名は「内観の法」と言います。
こちらは毎晩、寝る前に行うだけなので、習慣にすれば続けるのは苦にならないと思います。
寝床でウジウジと考え事をしてしまう人にはおススメです。
白隠さんはこの「内観の法」の効果に、相当自信があったのか
「真剣にやれば、身体の不調は吹き飛ぶ。嘘なら私の首をはねても良い。」
とまで言っています。
ただ、この内観の法、一つだけ難点があります・・・
それは・・・
全然、呪文が覚えられん!
という事です!
一度、やってみてください。
私は昔、紙に書いて、天井に貼って読んでいたのですが、
寝れんわ!ってなりましたので、
最後には我流で
「丹田に気が満ちてくる~」
とシンプルにしてしまいました。
ごめんさい、白隠さん・・・。
まあ、これもイメージが大切だと思うので、
丹田が気で充実してくるイメージをすればいいのではないかと勝手に結論付けています。
白井亨(しらいとおる) ~白隠式養生法に取り組んだ剣の達人~
「剣禅一如」
柳生宗矩や宮本武蔵がなど、禅を通じて、剣の達人の域に達したという話はよく聞きます。
今回は白隠さんの養生法で剣の達人に至った、白井亨(しらいとおる)という剣術家を紹介させてください。
白井亨は江戸時代後期の剣術家で、天真伝兵法(天真白井流)の開祖です。
白井は若い頃から非常に剣術が強かったそうです。
天才タイプですね。
そして、若くして、岡山藩の剣術師範となり、300人の弟子を持つまでになるのです。
しかし、30歳を目前にして、技の衰えを感じ出します。
求道心がそうさせたのでしょうか
母の危篤をきっかけに、師範の職を辞して、江戸に戻ります。
この頃、白井はかつて兄弟子だったた 「※寺田五衛門」という剣術家と試合をします。
寺田この時、63歳
白井が30歳なので、親子ほどの歳の差です。
当然、楽勝すると思った白井でしたが、いざ寺田が剣を構えると全く打ち込めない。
思わず、「まいった」と負けを認め、その場で寺田に弟子入りをお願いしたそうです。
寺田は白井を弟子として認めると
「これまでお前は、20年以上にわたって邪道の剣を使ってきた。一からやり直すには、悟道に道を求めるしかない」
と言ったそうです。
それからの白井は、徹底して水行を行いますが、無理をし過ぎて、身体を壊してしまいます。
その時に師匠の寺田が「軟酥の法」「内観の法」を教えたそうです。
さらに「内観の法」を独自の「練丹の法」に発展させていったそうです。
これにより白井は健康を取り戻すと共に、「練丹の法」を元に独自の剣術をは開発していきます。
白井は弟子に①真空②丹田③太刀先 の赫機(のび)をまず覚えるように指導をしています。
さらに研鑽を重ねた白井は、円熟の域に達し、老いてなお衰えない「剣の達人」として後世まで語り継がれる存在にまでなります。
晩年、白井は「俺の剣からは輪が出るぞ」と弟子に語っていたそうです。
※白井の師匠である寺田五衛門も面白い人で、竹刀による試合稽古を好まず、徹底した形稽古を重要視されたようです。それでもいざ試合を行うと、無敵の強さを誇ったそうです。
私が稽古をしている合気道も型稽古が中心です。型稽古の繰り返しをなぜ重要視されたのか?そして、なぜそれで達人に至ったのか?すごく興味深い人物です。
「軟酥の法」「内観の法」が武道の上達につながるか?
私は一時、体調不良が重なった時期、一年ほど白隠式養生法を熱心に取り組んだ事があります。
「軟酥の法」はリラックス、「内観の法」は丹田を開発する事に役立った気がします。
あくまで個人的な感想ですが・・・
4月から道場がクローズで、思うように稽古ができない時期が続いております。
このタイミングで私も昔読んでいた本を読み直してみたいと思います。
私も年齢と共に身体的に衰えて来ていると感じる事が多いです。
少し見識を深めていくには、いいタイミングなのかもしれません・・・・・
参考文献
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