【解説編】兵法家伝書(へいほうかでんしょ)とは?柳生宗矩の「活人剣」の境地とは?

 

どーも、合気道合心館のおがわです。

 

 

「兵法家伝書(へいほうかでんしょ)」をご紹介します。

 

 

作者は柳生宗矩(やぎゅうむねのり)です。

 

 

 

宗矩は名僧沢庵と交流のあった剣豪です。

 

 

「兵法家伝書(へいほうかでんしょ)」と沢庵の「不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)」はぜひセットで読んでみてくださいね。

 

 

ちなみに映画や小説などで有名な柳生十兵衛は柳生宗矩の子供です。

 

 

十兵衛が有名すぎて、宗矩が若干かすんでいる感はイナメナイとか・・・。

 

 

 

 

柳生宗矩は十兵衛パパ
柳生宗矩は十兵衛パパ

兵法家伝書(へいほうかでんしょ)

 

江戸幕府初期の将軍家兵法師範にして、参謀的な官僚(大目付)の地位にあった柳生宗矩が、当時の先駆的な剣の道、新陰流の剣理を大成した書。

 

 

江戸時代、天下泰平の世を迎えたとはいえ、幕藩体制の基礎が固まっていたとはいえない家光の時代に、「力の政治」を断行するためには強い先導力と決断力がリーダーに求められた。

 

 

本書は、宗矩の兵法の教え子だった三代将軍・家光に、幕府要路という立場から、兵法の理を通して、強いリーダーシップを培うための「経世」の書として呈上したものでもあった。

 

 

『兵法家伝書』(「殺人刀の巻-指導者の道心」「活人剣の巻-心は自由自在」「無刀の巻-虚なる心の力」)に加え、宗矩に思想的な影響を与えた沢庵著『不動智神妙録』の抄訳も掲載。

 

 

混迷を深める今日に、指導者の心の錬磨のうえで、示唆に富む一冊といえる。

 

 

引用:Amazon

 

 

 


「兵法家伝書」の作者 柳生宗矩(やぎゅうむねのり)とは?

 

柳生宗矩は大和国(現在の奈良県)にて、戦国時代末期の元亀2年(1571年)に誕生しました。

 

 

宗矩は柳生新陰流の開祖である柳生宗厳(やぎゅうむねよし)の五男です。

 

 

父 宗厳は徳川家康に招かれ「無刀取り」を披露することになるのですが、その際に息子である宗矩も同行します。

 

 

それが縁となり、宗矩は家康に仕え徳川家の剣術指南役として江戸に柳生新陰流を広めたと言われています。

 

 

(父 宗厳が徳川家に仕えるように、言われましたが、高齢のために息子 宗矩を推薦しました。)

 

 

宗矩は関ヶ原の戦いへも参加します。

 

 

関ヶ原の後は徳川家光に剣術を教えることになります。

 

 

 

不動智神妙録を書いた沢庵の影響もあってか宗矩は柳生新陰流を殺人剣ではなく「活人剣」と呼び、剣は人を斬るものではなく、悪を斬るためのものという信念を持っていました。

 

 

 

 宗矩の活人剣は合気道的な人を切らない、傷つけないという思想ではなく

 

 

「本来忌むべき存在である武力も、一人の悪人を殺すために用いることで、万人を救い『活かす』ための手段となる」

 

 

という指導です。

 

 

合気道の和合の精神は、活人剣の思想より、昇華されている気がします。

 

 

しかし、これは時代背景もあると思います。

 

 

柳生宗矩にはまだ戦があり、人を斬らなければいけない時代ですから。

 

 

 

活人剣のイメージ
活人剣のイメージ(クリックで拡大)

 

 

宗矩も柳生新陰流の技法・理論を集大成して「兵法家伝書」という本を残しています。

 

 

ぜひとも、不動智神妙録と一緒に読みたい一冊です。

 

 

どのように影響をしあっているのか、見比べて読みたいですね。

 

 

 

■柳生宗矩「兵法家伝書」の 名言紹介

兵法家伝書 名言紹介

 

それでは柳生宗矩「兵法家伝書」の中から、いくつか名言をご紹介したいと思います。

 

 

ではでは

 

 

 

■活人剣の名言

柳生宗矩
柳生宗矩
「一人の悪に依りて万人苦しむ事あり。しかるに、一人の悪をころして万人をいかす。是等誠に、人をころす刀は、人を生かすつるぎなるべきにや」

柳生宗矩
柳生宗矩
「兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也」

柳生宗矩
柳生宗矩
「乱れたる世を治める為に、殺人刀を用ゐて、巳に治まる時は、殺人刀即ち活人剣ならずや」

柳生宗矩
柳生宗矩
「兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと(心得違い)也。人をきるにはあらず、悪をころす也」

■その他の名言

柳生宗矩
柳生宗矩
「刀二つにてつかふ兵法は、負くるも一人、勝つも一人のみ也。是はいとちいさき兵法也。勝負ともに、其得失僅か也。一人勝ちて天下かち、一人負けて天下まく、是大なる兵法也」

柳生宗矩
柳生宗矩
「治まれる時乱を忘れざる、是兵法也」

柳生宗矩
柳生宗矩
「平常心をもって一切のことをなす人、是を名人と云ふ也」

柳生宗矩
柳生宗矩
「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり」

柳生宗矩
柳生宗矩
「刀剣短くば一歩を進めて長くすべし」

柳生宗矩
柳生宗矩
「無刀とて、必ずしも人の刀をとらずしてかなはぬと云ふ儀にあらず。又刀を取りて見せて、是を名誉にせんにてもなし。わが刀なき時、人にきられじとの無刀也」

柳生宗矩
柳生宗矩
「小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」

沢庵と柳生宗矩の親交

 

吉川英治の「宮本武蔵」や漫画「バガボンド」には宮本武蔵を導く役として、沢庵が出ています。

 

 

しかし、実際に沢庵と武蔵の交流の形跡はなく、実際に沢庵と深く交流していたのは柳生宗矩でした。

 

 

宗矩の兵法家伝書には、沢庵から学んだ禅の思想が全編に渡ってつづられており、沢庵の「剣禅一如」の思想は宗矩の「活人剣」に思想に強く影響を与えたことが分かります。

 

 

ここでは沢庵と武蔵のちょっと面白いお話を2つ紹介します。

 

 

なんかいい関係ですね。

 

 

 

 

①煙から離れたぞ・・・

 

宗矩の剣豪のイメージとは違う、おちゃめな一面が知れるエピソードを紹介します。

 

 

沢庵が書き記したところによると宗矩は、かなりのヘビースモーカーだったようです。

 

 

 

 

柳生宗矩
柳生宗矩
お前、ちょっとは煙から離れなさいよ。

 

と宗矩に忠告しました。

 

 

次に沢庵が宗矩に合うと、なんと宗矩はとても長いキセルでタバコを吸っており、

 

 

 

柳生宗矩
柳生宗矩
ほら、煙から離れたぞ・・・

 

 

と、一休さんも真っ青のとんちをぶちかましたそうです。

 

 

ああ、母上様お元気ですか・・・

 

 

 

②能狂いの宗矩 沢庵の怒られる。

能狂い

 

引き続き、宗矩のちょっとおちゃめなエピソードをご紹介します。

 

 

「能」は現在では伝統芸能として敷居の高いイメージがありますが、元は猿楽と呼ばれおり、戦国時代~江戸時代の頃は武士たちの娯楽として楽しまれていました。

 

 

実は宗矩は能が大好きでした。

 

 

見るだけでなく自分で舞うことも好きだったようで、能役者とも交流していました。

 

 

ある時には、踊りに夢中になりすぎてめまいを起こしたこともあったとか💦

 

 

(武士にとっての能は、現代のビジネスマンのゴルフみたいものだったようです。)

 

 

 

めまい
くらくら、めまい~

 

 

能は武士のたしなみとはいえ、宗矩はの能好きは度が過ぎていたようで、ある時には呼ばれてもいないのに、知り合いの大名の屋敷に勝手に押しかけ、能を披露したこともあったそうです。

 

 

これには交流のあった沢庵宗彭から怒られています(不動智神妙録より)。

 

 

 

 

 

柳生宗矩
柳生宗矩
呼ばれてもいないのに、勝手に押しかけて自分の能を見せるなんて、あなたの能好きはほとんど病気ですよ。

 

 

きつい一言ですね。

 

 

これにはさすがの宗矩も言い返す言葉がないのではないでしょうか?

 

 

 

柳生宗矩
柳生宗矩
・・・・・・

柳生宗矩太夫
柳生宗矩太夫

兵法家伝書と一緒に読みたい沢庵の「不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)」


 

 

非常に仲の良かった沢庵と柳生宗矩、お互いにどのように影響しあっているのか、兵法家伝書と不動智神妙録は一緒に読みたいですね。

 

 

 

 

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