包丁(ほうちょう)の語源とは?武道に通じる荘子の教え

包丁の語源とは?

 

どうも、合気道合心館のおがわです。

 

 

包丁って、人の名前が語源って知っていましたか??

 

 

私は最近知りました。

 

 

この包丁の語源のお話が、なんか武道に通じるなと思いましたので、今回はご紹介したいと思います。

 

 

ちなみに、レオタード、ブルマ、カーディガンなんかも人の名前だそうです。

 

 

あーそうそう、コマネチはルーマニアの体操選手ですしね。

 

 

どうでもいいですが・・・

 

 

 

 

 

包丁の語源は「庖丁(ほうてい)」という人物

庖丁(ほうてい)
庖丁(ほうてい)

 

庖丁は中国古典の「荘子」の中で、紹介されている人物です。

 

 

牛を解体する仕事をしており、その腕前は超一級!

 

 

牛を解体するのに使う刃物を、包丁(ほうちょう)と呼ぶようになったのは彼の名前に由来します。

 

 

ちなみに、包丁と庖丁はどちらも「ほうちょう」と呼び、同じ意味です。

 

 

庖の字は日本ではあまり使われず、包丁と書くのが一般的です。

 

 

 

 

おがわ
おがわ
庖丁だから包丁なんて、ジョン・ボンジョビだからBON JOVI みたいですね!(あほ)

 

 

 

・・・・なんか『魁!!男塾』の民明書房からの引用っぽいお話ですが、これは紛れもない事実です。

 

 

 

 

 

荘子(そうじ)とは?

荘子(そうじ)
荘子(そうじ)

 

荘子(そうし、Zhuang Zi、紀元前369年頃 - 紀元前286年頃)は、中国戦国時代の宋の蒙(現在の河南省商丘市民権県)に生まれた思想家で、『荘子』(そうじ)の著者とされ、また道教の始祖の一人とされる人物である。

 

 

姓は荘、名は周。字は子休とされるが、字についての確たる根拠に乏しい。

 

 

曾子と区別するため「そうじ」と濁って読むのが日本の中国文学・中国哲学関係者の習慣となっている。

 

 

『史記』には、「魏の恵王、斉の宣王と同時代の人である」と記録されている。

 

 

荘子が生まれた蒙の属する宋は当時弱小国の一つであった。

 

 

荘子が生きていた時代に宋王剔成君は、弟の偃に追われ亡命し、偃がそのまま王位に就いた。

 

 

しかし偃は暴逆により前286年、斉・楚・魏の連合軍により殺され、宋は分割され滅亡してしまう。

 

 

『史記』のある挿話には、楚の威王が荘子の評価を聞き宰相に迎えようとし、礼物を持って荘子を訪ねた。

 

 

すると荘子は

 

 

「千金は大したもの、宰相は最高の地位でしょう。しかし郊祭の生贄になる牛をご覧なさい。長年、美食で養われ、錦繍で飾られ、最後には祭壇にひかれていく。その時いっそ野放しの豚になりたいと思うも、手遅れなのです。わたしは自由を縛られるより、どぶの中で遊んでいたい。気の向くままに暮らしたいのです。」

 

 

といい断った。

 

 

引用:Wikipedia

 

 

 

 

ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
ドナドナドナ~ドナ~子牛を乗せて~

■個人的におすすめの本

 

※画像をクリックするとAmazonにて購入できます。

 

 

 

 

 

■個人的におすすめのYoutube


まったく恐ろしくない包丁のお話・・・「荘子」より

 

お分かりいただけただろうか・・・・

 

 

彼女が持っている刃物・・・

 

 

それは包丁・・・

 

 

これは包丁の名前の由来となった一つの物語である・・・

 

 

出典:「貞子」否 「荘子」

 

 

 

くる~きっとくる~きっとくるくる~くるくるくるくる~♬
くる~きっとくる~きっとくるくる~くるくるくるくる~♬

①昔々、ある所に庖丁(ほうてい)という牛を解体する名人がいました。

 

昔々、ある所に、庖丁(ほうてい)という牛を解体する名人がいました。

 

 

庖丁は凄まじい手際の良さで、みるみるうちに牛を解体してしまいます。

 

 

ある時に、文恵君(ぶんけいくん)という人が、たまたまその様子を見かけました。

 

 

 

 

②文恵君(ぶんけいくん)は庖丁の牛を解体する技術にびっくり!

文恵君(ぶんけいくん)は庖丁の牛を解体する技術にびっくり!

 

DENGEKI!電撃

 

 

文恵君(ぶんけいくん)は庖丁の牛を解体する技術にびっくり!

 

 

「こんな素晴らしい技術見たことない!」

 

 

と言いました。

 

 

 

 

③庖丁は技術を褒められても、全然うれしそうじゃありません。

庖丁は褒められても、全然うれしそうじゃありません

 

しかし、文恵君にいくら褒められても、庖丁は全然うれしそうじゃありません。

 

 

ふてくされて「別に・・・」と今にも言いそうな雰囲気です。

 

 

なぜ、庖丁は自分の卓越した技術をほめられても喜ばないのでしょうか?

 

 

 

 

④庖丁は技術ではなく、「道」を求めている。

庖丁は技術ではなく、「道」を求めている

 

庖丁はこのように、文恵君に言います。

 

 

「私が求めているのは、”道”です。私は技術を問題にしていません。だから、私の技術がほめられても、別に・・・って感じです・」

 

 

 

 

⑤神眼で牛を見ると、包丁を入れるべき、肉の裂け目が見える。

神眼で牛を見ると、包丁を入れるべき、肉の裂け目が見える。

 

牛の解体をはじめたばかりの頃は、誰しも、どこから解体をするか、どのように解体をするのか、惑うものです。

 

 

しかし三年もすれば、熟練していき、目には牛の姿ではなく、刀を入れるべき肉の裂け目が見えるようになります。

 

 

庖丁はこのように言います。

 

 

「この肉の裂け目は肉眼で見えるものではありません。神眼でないと見えません。この神眼をひらけば、あとは勝手に刀が肉の裂け目を進み、牛を解体していくのです。」

 

 

文恵君はすっかり感心したそうです。

 

 

これが「荘子」で紹介されている庖丁のお話です。

 

 

このお話から、この刃物の事を↓↓↓

 

 

 

 

 

包丁(庖丁)と呼ぶようになったのだとさ。

 

 

チャンチャン

 

 

 

 

おがわ
おがわ
何を言っているか全然分かりませんが、このエピソードを紹介しているであろうYoutubeを貼り付けておきますね。

名人と達人の違いとは?

名人と達人の違いとは?

 

私は「荘子」の庖丁の話は、名人と達人の違いをあらわしていると理解しています。

 

 

技術が高いだけでは、名人の域を出ません。

 

 

その技術を習得(修行)を通じて、高い精神性を持つに至り、それを真理を求める”道”として昇華している人のみを達人というのではないでしょうか?

 

 

達人には憧れますが、名人とすっ飛ばして、達人になれるはずもないと考えます。

 

 

私は長く合気道を稽古していますが、まずは名人を目指して、地に足をつけた稽古をしていこうと思います。

 

 

野狐禅(やこぜん)にならないように・・・

 

 

 

野狐禅・・・禅をおさめる人が、まださとってもいないのに、さとったつもりになってうぬぼれること

 

 

 

 

もし、あなたが合気道に興味をお持ちなら・・・

 

合心館京都・大阪では一人でも多くの方に合気道を知ってもらいたい!という思いから、無料体験を行っています。

 

 

合心館では誰でも「2回まで無料体験」をしていただけるようにしています。

 

 

 

2回まで体験をした後に、入会をするかどうかはご自身で判断していただけます。

 

 

あなたがもし、少しでも合気道に興味をお持ちなら、ぜひ合心館の無料体験にお越しくださいね。

 

 

 

↓↓今すぐ、クリックして「無料体験」の詳細をご確認ください↓↓

 

 

また、合気道の稽古で使用しない道場の空き時間をレンタルスタジオとして貸し出しもしております。

 

 

↓↓京都市内でレンタルスタジオをお探しなら、下の画像をクリックしてください。

レンタルスタジオ御所南合心館