山岡鉄舟の剣法論 ~「剣禅話」より~

山岡鉄舟 剣法論

 

どうもおがわです。

 

 

今回は、山岡鉄舟が残した文章を集めた「剣禅話」のご紹介をします。

 

 

剣禅話は剣の達人山岡鉄舟が残した文章をまとめた本です。

 

じつは合気道の参考になるのではと、数年前に買っていたのですが、読まないまま実家の本棚に眠っていました。 

 

 

お正月で実家で暇なので、今回読んでみました。

 

 

簡単にご紹介しますね。

 

 

 

 

剣禅話(けんぜんわ)とは?

鉄舟は多くの書を残しましたが、自身に考えを残した文章は驚くほど少ないです。

 

しかも、非常に簡易で身近な文章です。

 

何かを残したいという考えが、そもそも鉄舟にはなかったのだと思います。

 

その少ない鉄舟が残した文章を歴史作家の髙野澄先生が「剣法論」「修養論」「維新覚書」の3章に分け、現代訳をつけて刊行されたのが剣禅話です。

 

 

剣禅話は鉄舟が残した重要な文章のほとんどが載っており、鉄舟の剣禅一致の思想を知るのには、非常に貴重な本です。

 

 

 


山岡鉄舟
   鉄舟
自像を画きて 死んだとて 損得もなし 馬鹿野郎

剣禅話の構成

 

剣禅話は「剣法論」「修養論」「維新覚書」の3章に分かれています。

 

 

 

「剣法論」・・・鉄舟が剣術理論と思想に関する文章をまとめた章。

 

「修養論」・・・鉄舟の20代の頃に書いた文章をまとめた章。

 

「維新覚書」・・・鉄舟が明治維新の渦中と宮内省入りの際に書かれた文章をまとめた章

 

 

 

 大悟を得る為に、剣禅書の三道の修行に、真直ぐ打ち込む鉄舟の哲学を知る事ができる貴重な文章です。

 

 

すべて読んでも、それほど時間はかかりません。

 

 

ぜひ、読んでみてくださいね。

 

 

 

山岡鉄舟の「剣法論」

山岡鉄舟 剣法論

 

では、その三章の中で、剣術に関しての文章をまとめられた「剣法論」の内容の一部を今回はご紹介いたします。

 

 

鉄舟の剣術の考え方、求道心にはいつも感動します。

 

 

 

山岡鉄舟は何のために剣術修行を行っていたのか?

 

鉄舟の剣術への考え方ですが、一般的な考え方とは違っていたようです。

 

 

これは鉄舟が「修心要領」という文章の中で、自分は一般的な人と違う目的で剣術修行をしていおり、それを今まで人には語った事がなかったがと前置きをした上で以下のように言っています。

 

 

 

 

 

山岡鉄舟
   鉄舟
世の人びとが剣法を修業しているのは、おそらくは敵を切ろうとするためのものにちがいない。わたしの剣法修業はちがう。わたしは、剣法の呼吸といわれるものを得て、神妙の理に悟りたいものだと思っているのである。

 

 

鉄舟は剣術を人を殺めるのが目的ではなく、「大悟」を得る為に行っています。

 

 

明治維新後、多くの志士が剣術をやめてしまった中、鉄舟は生涯、剣術修行に励みます。

 

 

それは鉄舟が人を殺める道具としてではなく、「大悟」に至るための道として行っていたからなのかもしれません。

 

 

 

 

 

山岡鉄舟が無敵の境地の「大悟」に至るまで

山岡鉄舟が無敵の境地の大悟に至るまで

 

鉄舟は座禅を組んで、そこから得た気づきを、剣の構えの中に入れる工夫を積み重ねていました。

 

 

剣禅一如(けんぜんいちにょ) つまり、剣と禅の到達点は同じではないかと考えていたのです。

 

 

最終的に、鉄舟は悟りを得て、無敵の境地に立つのですが、

 

 

その過程で鉄舟に気づきを与えた3人の人物を紹介します。

 

 

 

 

 

①浅利又七郎(あさりまたしちろう)

浅利又七郎

 

浅利又七郎は一刀流の達人で、巨漢(190㎝ 100㎏)の鉄舟がまったく歯が立たなかった実力者です。

 

 

鉄舟は浅利の実力に驚嘆し、以下のように言っています。

 

 

 

山岡鉄舟
   鉄舟
外にあらわれるところは柔軟だが、内に剛直なものを持っており、精神を呼吸に集中し、攻撃にかかる前に勝機をつかんでしまうのである。

 

 

 

浅利に負けをきして以来、鉄舟は浅利に勝つために、昼は色々な人を剣術の試合、夜は座禅と自己鍛錬に励みます。

 

 

この浅利という人物はよほどの達人であったようで 、勝海舟もこのように評価しています。

 

 

 

 

山岡鉄舟
  勝海舟
剣道の神様といわれた人だ。この人に掛かったら、どんな人でも手足が縮んで動きができなかった。

 

 

浅利との出会いにより、鉄舟の剣術は飛躍的にする事になります。

 

 

 

 

②由理滴水(ゆりてきすい)

由理滴水

 

浅利に打ち勝とうと苦心している中、鉄舟は臨済宗の名僧である由理滴水から教えを受けました。

 

 

ある時に鉄舟は剣と禅の真理は同じものであるのではないかという自身の考えを滴水に伝えました。

 

 

すると、滴水は鉄舟の考えを正しいと認めた上で、まだ鉄舟は眼鏡を通して物を見ていると指摘します。

 

 

ただ、鉄舟の場合はレンズが透き通っているから、視力を弱める事はないが、完全に眼鏡を取り除かないと真理にはいたらないと言います。

 

 

そして、次のような公案を伝えます。

 

 

 

滴水
  滴水
つまるところは「無」の一字につきる。

 

 

それから10年、鉄舟はこの「無」の公案を説こうと、剣と禅の修行に明け暮れます。

 

しかし、どうしても釈然としません。

 

 

そこで再び滴水のもとを訪れて、自分の理解できる範囲の事を使えました。

 

すると滴水は再び公案を伝えます。

 

 

 

滴水
  滴水
両刃交鉾不須避 好手還同火裡蓮 宛然自有冲天氣(訳:両刃の鉾を切り結んでいる武人は、相手をかわしたりすることはない。このような 鉾の使い手は、燃えさかっている炎の蔭で涼しげに咲いている蓮の花のようで、まるで天 に突き入るほどの氣を備えているようだ。)

 

 

 

この公案に強く惹かれた鉄舟は忘れないように自分の大帯に書いて、さらに3年考え続けた。

 

 

 

 

③商人(平沼専蔵?)

商人

 

ある時、鉄舟はある商人(※)からこのような話を聞きます。

 

 

何が剣術に活きるのか、私は理解できませんので、少し長いですが引用させていただきます。

 

 

※鉄舟ははっきり名前を出していませんが、おそらく実業家の平沼専蔵の事だと言われています。

 

 

 

 

商人
   ある商人

世の中は不思議なもので、とても貧しい家に生まれた自分が今では巨万の富といっていいようなものを手に入れることができた。

 

これは、思いのほかのことといえるのだが、ひとつだけ自分の若い頃の経験で貴重に思っていることがある。

 

 

あるとき、まとまったお金ができて商品を仕入れた。

 

ところが、すぐに物価が下がり気味だという評判が立った。

 

そこで、早く売り払ってしまいたいものだと思っていると知人たちがその弱みに付け込んで安く買い叩こうとかかってくる。

 

 

だものだから、自分の胸はどきどきしてしまい、気持ちも浮き足立ってあれやこれや迷ってしまい、本当の物価の事情を知ることもできないほどになってしまった。

 

 

そこで、すっぱり決心を固め、どうにでもなれと放っておいた。

 

するとそのうちに、今度は商人たちが原価の1割高で買うと言ってきた。

 

そこで売ってしまえばよかったのだが、今度は欲が出てきてもっと高く、もっと高くと思っているうちに、今度はさらに状況が変わり、結局最後は原価より2割以上も低い値段で売ることになってしまった。

 

 

自分が商いの気合というものを知ったのはこのときが初めてだった。

 

思い切って大きな商売をやってやろうというときに勝ち負けや損得にびくびくしていては商売にならぬものだとわかったのだ。

 

 

つまり、これは必ず儲かるぞと思ってしまうと、どきどきするし、損をするのじゃないかなと思うと、自分の体が縮むような気分になる。

 

そこで、こんなことで心配しているようではとても大事業なんかできっこないのだと思い直した。

 

 

それからというものは、たとえどんなことを計画するにしてもまず自分の心がしっかりしている時にとくと思いを定めておきいざ仕事にとりかかったときには、あれこれ一切考えないようにしてどしどし実行することにしてきた。

 

その後は、損得は別にして、まずは一人前の商人になれたものと思って今日までやってきている。

 

 

引用:「剣禅話」41-43P

 

 

 

この話と「両刃交鉾不須避 好手還同火裡蓮 宛然自有冲天氣」の教えを照らし合わせて、感じた事を剣術に活かしていきました。

 

 

そして、鉄舟は「大悟」を得る事になります。

 

 

 

 

 

大悟に至り「無刀流」を創設

大悟に至り「無刀流」を創設

 

商人の話を聞いてから、数日後・・・

 

 

いつものように夜に鉄舟が座禅を組んでいると、「天地の間には何もないのだ」という気持ちになりました。

 

 

鉄舟はそのまま浅利に対峙する構えを取りました。

 

 

するとあれほど悩まされた浅利の幻影は現れません。

 

 

そこで、鉄舟は弟子を呼び、試合をしようと構えます。

 

しかし、すぐに弟子は・・・

 

 

 

 

 

弟子
  弟子
先生、そこで勘弁してください! 私は長い間先生の教えを受けてきましたが、今日の先生の刀ほど不思議な勢いを一度も見たことはありません。 自分のような者のは、先生の前に立つことなど不可能です。 このような業が人間の力でできるものではありません。

 

 

 

と驚嘆の表情を示すのでした。

 

 

そして、いよいよ大悟をえた鉄舟は、全く歯が立たなかった浅利又七郎と対戦を申し込みます。

 

浅利は喜んでそれを受けてくれます。

 

 

 

そして、対戦に・・・

 

浅利はすさまじい気合で鉄舟に飛びかかろうとする勢いです。

 

 

しかし突然、浅利は木刀を捨て、面具を外し、改まってこう言いました。

 

 

 

 

浅利又七郎
 浅利又七郎
ついにやりましたね!これまでのところとは段ちがいの腕前です。わたしといえどもかなうものではありません。秘伝を授けるのが当然というべきです

 

このようにして、一刀流の宗家である伊藤一刀斎の「夢想剣」の極意は浅利より鉄舟に伝えられます。

 

しかし、これで慢心しないのが、山岡鉄舟です。

 

 

さらなる研究と研鑽を重ねて、自身の流派である無刀流を立ち上げる事となります。

 

 

 

 

 

 

 

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