どーも、おがわです。
剣術修行中のテングたちが、大テングに剣術の極意を教わるという、江戸時代の剣術指南書「天狗芸術論」の中で、このような会話があります。
天狗芸術論では、全ての芸事の道理(真理は)同じとされていますので、
闘鶏と剣術の極意が同じでも、おかしな話ではありません。
「木鶏」の話 ~荘子より~
それでは木鶏のお話を簡単に紹介させていただきます。
非常に短いお話です。
1)紀渻子(キセイシ)が王のために闘鶏用の鶏を飼育していました。
2)十日が経って、王は紀渻子(キセイシ)に尋ねました。
王「鶏はもう戦えるようになったか?」
紀渻子「まだです。ちょうど空威張りして気負っているところです。」
3)十日が経って、王はまた紀渻子(キセイシ)に尋ねました。
王「鶏はもう戦えるようになったか?」
紀渻子「まだです。やはり他の鶏の声や姿に反応します。」
4)十日が経って、王はまたまた紀渻子(キセイシ)に尋ねました。
王「鶏はもう戦えるようになったか?」
紀渻子「まだです。やはり他の鶏をすばやくふり返って気持ちを奮い立たせています。」
5)十日が経って、王はまたまたまた紀渻子(キセイシ)に尋ねました。
王「鶏はもう戦えるようになったか?」
紀渻子「完成が近づいています。
他の鶏で鳴くものがいても、もう様子が変わりません。
これを遠くから眺めると木彫の鶏のようです。
その徳が完全に身についたのです。
他の鶏ですすんで闘おうとするものはなく、退いて逃げていきます。」
以上が、『荘子』に出てくる木鶏の話です。
短いお話ですので、原文と書き下し分を以下に引用させていただきます。
■原文
紀渻子為王養闘鶏。
十日而問、「鶏已乎。」
曰、「未也。方虚憍而恃気。
十日又問。曰、「未也。猶応嚮景。」
十日又問。
曰、「未也。猶疾視而盛気。」
十日又問。
曰、「幾矣。鶏雖有鳴者、已無変矣。
望之似木鶏矣。其徳全矣。
異鶏無敢応者、反走矣。」
■書き下し文
紀渻子、王の為に闘鶏を養ふ。
十日にして問ふ、「鶏已にするか」と。
曰はく、「未だし。方に虚憍にして気を恃む」と。
十日にして又問ふ。
曰はく、「未だし。猶ほ嚮景に応ず」と。
十日にして又問ふ。
曰はく、「未だし。猶ほ疾視して気を盛んにす」と。
十日にして又問ふ。
曰はく、「幾し。鶏、鳴く者有りと雖も、已に変ずること無し。 之を望むに木鶏に似たり。其の徳全し。異鶏敢へて応ずる者無く、反り走らん」と。
引用:『荘子』
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■老荘思想を知るために動画
老子と荘子の思想を合わせて「老荘思想」と言い道教の中心思想とされる。
江戸時代の武道指南書「猫の妙術」「天狗芸術論」は老荘思想の影響を強く受けています。
合気道哲学も老荘思想が色濃く出ていると私は感じます。
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ワレ イマダ モッケイ タリエズ (我、未だ木鶏たりえず)
「木鶏」という言葉を有名にしたのは、不世出の大横綱「双葉山(ふたばやま)」と言えるかもしれません。
双葉山はあるお酒の席で、
陽明学者であり、歴代総理のブレーンとされた安岡正篤氏より、この荘子の「木鶏」の話を聞いたそうです。
この話に非常に感銘を受けた双葉山は、「木鶏」を自分の相撲の目指す境地として、なお一層、熱心に稽古に励んだそうです。
双葉山は、連勝が69で止まった時、
「ワレ イマダ モッケイ タリエズ(我、未だ木鶏たりえず)」
と欧州旅行中のインド洋上船の中の安岡正篤に無線連絡したというエピソードは有名です。
(これを踏まえて横綱白鵬は、連勝が63でとまった時に支度部屋で「いまだ木鶏たりえず、だな」と語ったそうです。)
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【相撲ヒストリー】双葉山-没後50年を迎えて-
「日本相撲協会公式チャンネル」より
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