どうも、おがわです。
今日は沢庵和尚についてご紹介したいと思います。
宮本武蔵などに登場し、「たくあん漬け」の考案者という事で、
一休さんに次いでよく知られている禅僧だと思います。
武道にも多大に影響を与えた方なので、今回本を読み直して、普段の自分の稽古に活かせるヒントがたくさんありました。
たまには本も読んでみるものですね。
沢庵(たくあん)和尚とは
沢庵和尚(1573年~1646年)は、正式には沢庵 宗彭(たくあん そうほう)と言います。
安土桃山時代から江戸時代前期にかけてので大徳寺の住職も務めた臨済宗の偉いお坊さんです。
大根の漬物「たくあん」の考案者としても有名です。
※これは諸説あるそうです。
ちなみに新選組の土方歳三はたくあんが大好物で山盛り食べていたそうです。
沢庵は、剣豪の柳生宗矩と若い頃より交流があり、教えを求める柳生に剣禅一如の境地を説いたそうです。
この境地を記した『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』は、禅の教えを持って、武道の極意を説いた最初の書物であり、武術から武道へ昇華に大きく貢献していました。
宮本武蔵(みやもとむさし)との関係はフィクション?
吉川英治作の小説『宮本武蔵』や、この小説を原作にした井上雄彦の『バガボンド』というマンガでは、宮本武蔵を諭す師匠的な役割として、沢庵和尚が出てきます。
しかし、武蔵と沢庵が出会ったという歴史的な記録はなく、吉川英治の創作だそうです。
宮本武蔵は30歳のころから参禅して剣の修行に呼吸法を取り入れた事は事実のようです。
沢庵の「剣禅一如」のイメージが強く、武蔵の師のような存在として、イメージがピッタリだったのかもしれません。
沢庵は武蔵とは出会っていませんが、「柳生宗矩」という剣豪には多大な影響を与えています。
柳生宗矩は武蔵ほどの知名度はありませんが、相当の達人だったようです。
柳生宗矩(やぎゅう むねのり)
柳生宗矩(やぎゅう むねのり)は、江戸時代初期の剣術家です。
徳川将軍家に剣術の先生として招かれる程の実力だったそうです。
また政治家としても、大変優れ、大名にまで上りつめます。
一剣術家が大名にまでなったのは日本の歴史上、柳生宗矩だけです。
また、沢庵和尚と交流があり、禅の思想に影響を受け、自身の剣術を「活人剣」に昇華をさせています。
宗矩は「兵法家伝書」という本を著し、後世に自信の剣術の考え方を伝えています。
■兵法家伝書(へいほうかでんしょ)
江戸幕府初期の将軍家兵法師範にして、参謀的な官僚(大目付)の地位にあった柳生宗矩が、当時の先駆的な剣の道、新陰流の剣理を大成した書。
江戸時代、天下泰平の世を迎えたとはいえ、幕藩体制の基礎が固まっていたとはいえない家光の時代に、「力の政治」を断行するためには強い先導力と決断力がリーダーに求められた。
本書は、宗矩の兵法の教え子だった三代将軍・家光に、幕府要路という立場から、兵法の理を通して、強いリーダーシップを培うための「経世」の書として呈上したものでもあった。
『兵法家伝書』(「殺人刀の巻-指導者の道心」「活人剣の巻-心は自由自在」「無刀の巻-虚なる心の力」)に加え、宗矩に思想的な影響を与えた沢庵著『不動智神妙録』の抄訳も掲載。
混迷を深める今日に、指導者の心の錬磨のうえで、示唆に富む一冊といえる。
引用:Amazon
■兵法家伝書のブログ
沢庵と出会い、剣術を「殺人剣」から「活人剣」へ昇華
柳生宗矩は「活人剣」を説いています。
私が稽古をしている合気道も相手との争わず、和合を目指す武道です。
しかし、宗矩が説く、「活人剣」は現在の合気道の考え方より、少しリアルで血生臭い感じです。
「本来忌むべき存在である武力も、一人の悪人を殺すために用いることで、万人を救い『活かす』ための手段となる」
要するに、剣術は多くの人に害をなす「悪人」を切る事で、多くの人を活かす手段だという事です。
本来、人を殺す手段であった武術に、意義を付けを行ったという事でしょうか?
このような考え方により、「武術」から人間形成を目指す「武道」へ発展する礎となったそうです。
「現在武道」を稽古する私達も先人たちもこのような考えを勉強する事も大切かなと思います。
剣禅一如を説いた沢庵の「不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)」
「不動智神妙録」は沢庵和尚が武道の極意をもって禅の真髄を示した書です。
柳生宗矩に宛てた手紙をまとめた言われている。
※諸説あり
内容を見てみると、合気道の稽古の中で、活かせそうな事がたくさんあります。
その中からいくつか紹介します。
個人的見解も含まれていますので、他の方は違う解釈をされるかもしれません。
気になる方はぜひ原本を読んでみて、ご自身で沢庵さんの言葉を咀嚼してみてください。
①迷いを捨て、心を止めるな。
一切の迷いは捨て、相手の動きや、太刀にとらわれない事。
自分が相手をどうしてやろうかと邪心を出すと、相手に動きを読まれる。
迷いをしてて、無心で自然体で動く事が大切。
本の題名に入っている「不動智」とは、全く動かないという事ではなく、心は自由に動かし、相手にとらわれないという事です。
「不動智」は名前とは逆に、「自由自在の境地」という事です。
合気道の型稽古の反復の中でも、そのような境地を目指したいものです。
②「初心」に戻る。
稽古は四季のようにめぐると書かれています。
春夏秋冬が過ぎた後には、また春が来ます。
初心を忘れないというのではなく、稽古をし続ければ、また「初心」に戻るという事です。
合気道でいうと、技を習う前は、何も考えていません。
技や相手に対してのとらわれはありません。
しかし、いざ稽古を始まると、覚える事がたくさんで、頭の中がいっぱいになってしまいます。
しばらく稽古を続けると、自然に動きが身について、考える事が少なくなってきます。
そして、最後には何も考えなくても、自然に技が出てくる状態にいたるのではないでしょうか?
その段階で一巡して、また「初心」に戻ったという事なのだと思います。
※また、初心に戻るためには、何も考えなくても技が自然に出る程、反復練習が必要である事を忘れてはいけないと思います。
③相手の攻撃に合わせる。
これは沢庵は「間髪をいれない」と表現していますが、
相手の太刀と自分の動きの間に 髪の毛1本すら入らないようにという事です。
同じような内容ですが、「石火の機」とも表現しています。
つまり、火打ち石をカチンすれば、すぐに火花が散ります。
私は合気道の稽古の中では、これを「相手の攻撃に合わせて動く」と理解して稽古しています。
相手の攻撃を捌く時、早すぎず、遅すぎず、相手に合わせて動くという事が大切だと思っています。
④頭でっかちになっていないか。
もし、禅により剣術の「道理」を知ったとしても、身体を使って、剣術の稽古をしなければ意味がない。
「道理」を知っても、剣術の技がなければ、「道理」は生かせない。
これを沢庵は「理の修行、事(わざ)の修行」と言っています。
この二つは車の両輪のようなものだと思います。
合気道は型稽古ですから、頭でっかちになりがちです。
「道理」を知り、それを稽古の中で体現できるようになるまで満足する事なく、稽古をしていければと思います。
■不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)
徳川将軍家兵法指南役・柳生宗矩に与えられ、『五輪書』、『兵法家伝書』等と並び、後の武道に多大な影響を与えた書物である。
また、沢庵の同種の著作として『太阿記』もある。
心が一つの物事に捉われれば(意識し過ぎれば)、体が不自由となり、迷えば、わずかながらでも心身が止まる。
これらの状態を禅の立場から良しとせず、達人の域に達した武人の精神状態・心法を、「無意識行動」かつ心が常に流動し、「迷わず、捉われず、止まらず」であることを説き、不動智を「答えより迷わず=結果より行動」に重きを置く禅問答で説明(当書の「石火之機」)したもので、実質的には心法を説いた兵法書であり、実技である新陰流と表裏一体で学ぶもの(当書「理の修行、事の修行」)としている。
引用:Wikipedia
■不動智神妙録のブログ
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