どーも、おがわです。
明治初期に西洋諸国に日本を含む東洋の思想文化のすばらしさを知らしめるために、
岡倉天心が書いた「茶の本」
今回は第四章「茶室」について、まとめていきますね。
「茶室」とは、茶道において、客人を招き茶を出してもてなすために造られる部屋のことですが、色々と深い意味やこだわりがあります。
そのへんを簡単にまとめてみたいと思います。
ではでは・・・・
茶の本 第四章「茶室」
第四章では、茶道において、客人を招きいれ、お茶をふるまう部屋である「茶室」について詳しく説明をしています。
この章のはじめに西洋人に対して、 岡倉天心はこのように言います。
門外漢とは西洋人のことです。
要するに・・・
「おめーらが茶室の美しさを理解するなんて、こちらは全然、期待しちゃいねーよ」
ということです。
数寄屋(茶室)の三つの意味
茶室の建築は、よく「数寄屋建築」といわれます。
この「数寄屋(すきや)」には三つの意味があると言います。
それの三つとは
①空き家
②好き家
③数奇家
です。
それでは一つづつ簡単に解説をしますね。
1)空き家
一つ目は、中身が空っぽなので、「空き屋(すきや)」
茶室は必要最低限のもの以外は、いっさい装飾はしません。
なので、「空き家(すきや)」の意味になります。
お茶会の時は、床の間に掛け軸をかけたり、生け花をしたりしますが、それもお茶会が終われば、片づけられます。
これには老子の「虚」の思想が、影響しています。
「虚」の思想は、第三章で紹介をしています。
あわせてお読みいただければと思います。
↓↓↓↓↓
「茶の本 第三章「道教と禅道」を分かりやすく要約 ~茶道に影響を与えた二つの東洋思想~」
2)好き家
二つ目は、個人の趣味嗜好にかなうように、作られた建物であるから「好き家(すきや)」
茶室は茶人のために作られたものであり、茶室は個人的趣味に適するように建てられるべきです。
これは芸術における最も重要な原理と同じです。
要するに、茶室は芸術と同じで、茶人の好きなようにやっちゃっていいものだという事です。
茶室を好きに使えるのは、茶室は「空き家」で虚の空間だからです。
空の入れ物には、好きなものを入れる事ができますよね。
3)数奇家
三つ目は、不完全を崇拝する建物であるから「数奇家(すきや)」
天心は「数寄」偶数に対する奇数という意味で理解しています。
つまり茶室は均等でない(不完全)な建物だという事です。
具体的には、茶室には「違い棚」といって、右と左で交互に仕切りの高さの違う棚があります。
このような不均等なつくりは、西洋の棚にはほとんど見られないものだと天心は言っています。
茶室は五人しか入れない狭い部屋です。
なので、茶室は一見質素で清貧を思わせます。
しかし、良い大工が良い材料を使い良い細工を、細心の注意を払い作ります。
ですから、茶室は普通の邸宅より建築費用が掛かるのです。
茶室に入ることのできる人数を、天心はこのように例えています。
これ私が「なんのこっちゃ??」となったので調べてみました。
「グレース」とは美と魅力と幸せを与える三女神
「ミューズ」は学芸と詩と音楽を司る九女神
茶室に入る人数は、三人より多く、九人より少ない、つまり五人だということになります。
ちなみに「ミューズ」はミュージックの語源なのだとか
おもわず、なるへそと手をたたいてしまいました。
(ミューズの絵の人数が10人なのですが、それは 『パルナッソス山にあるアポローンとムーサたち』 (サミュエル・ウッドフォード作、1804年)という絵から引用したので、アポローンが含まれているからです。
誰かしらんけど・・・真ん中のやつかな??アポローン)
さらに、ちなみに
みんな大好きお菓子の「アポロ」はこのアポローン(太陽神)から来ているそうです。
すごいぞ!アポローン
さらにさらに、 ちなみに
Q.「すき家」の名前の由来は?
A.一つは「すき焼き」からです。すき焼きは明治時代、横浜で食されるようになった牛鍋が元祖だと言われています。
牛丼は基本的にはこの牛鍋(すき焼き)風に味付けしたメニューであり、また私たちも同じく横浜を創業の地としていますので、「すき焼き」をヒントに「すき家」と名付けました。
もう一つは「好き家」。皆様に好きになっていただきたいという願いを込めています。
引用:すき屋公式サイトより
はじめて茶室を作ったのは千利休
はじめて、お茶のための専用の部屋、つまり茶室を作ったのは千利休(せんのりきゅう)です。
千利休は時の天下人である豊臣秀吉に気に入られて、お茶の儀式、「茶道」を完成させ、広めた偉人です。
初期の茶室は、普通の客間の一部を屏風で仕切ったものでした。
仕切った部分を「かこい」と言いました。
ちなみに、茶室の広さは、利休の師匠である武野紹鷗(たけのじょうおう)により定められました。
■千利休の解説動画
中田敦彦さんのyoutube大学より、千利休の解説動画です。
分かりやすい、おもろい。
すてきやーん。
■映画 利休にたずねよ
茶人・千利休の人生を描き、第140回直木賞を受賞した山本兼一の同名小説を、歌舞伎俳優・市川海老蔵の主演で映画化。豊臣秀吉のもと「天下一の宗匠」として名をはせるも、やがて秀吉に疎まれ、武士でないにもかかわらず切腹しなければならなかった利休。その謎を、ある女性との秘められた恋とともに描き出していく。若かりし頃、色街に入り浸っていた利休は、高麗からさらわれてきた女と出会う。その気高いたたずまいと美しさに心を奪われた利休だったが、やがて別れの時が迫る。かなわぬ恋に対する利休の情熱は、ある事件を引き起こす。中谷美紀が利休の妻・宗恩、伊勢谷友介が信長、大森南朋が秀吉にそれぞれ扮する。監督は「化粧師 KEWAISHI」「火天の城」の田中光敏。
2013年製作/123分/G/日本
配給:東映
露地(ろじ)の役割
天心は「茶室」は簡素にして俗を離れてた聖堂であると言っています。
そして、待合から茶室に続く通路である「露地」の重要性を説いています。
つまり、茶室においての露地は俗から聖に向かう道ということになります。
客人は待合から露地を通り、高さ三尺ぐらいの狭い入り口(にじり口)から茶室に入ります。
その過程で、客人は日々のわずらわしい事(俗)からは解放され、 茶室の中(聖)においては、落ち着いて美の崇拝に身をささげる ことができるのです。
茶室は日常から切り離された特別な場所なのです。
人はこれから茶室を必要としていく
「茶室」は俗のわずらわしい事から切り離された聖堂であると天心はいいます。
16世紀に日本の改造統一を目指した政治家や勇ましい武士にとって茶室はありがたい精神的な休養所となりました。
17世紀に徳川幕府の時代には、きびしい儀式固守主義の発達した後は、茶室は芸術的精神と自由に交通 する唯一の機会 を与えてくれる場所となりました。
そして、今日の工業主義の時代では私たちはますます茶室を必要とするのではないかと、天心はこの章を締めくくっています。
私は京都でしがない合気道場を運営しているのですが、
ここまで読んでこんなことを思いました。
岡倉天心の人生を紹介したブログ
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■「茶の本」のブログ
岡倉天心の「茶の本」を各章ごとにまとめています。
一生懸命、まとめました。
併せて読んでみてくださいね。
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加藤 浩次 (火曜日, 16 11月 2021 11:09)
お願いします
佐藤 奏美 (火曜日, 16 11月 2021 11:10)
お願いします
あ (火曜日, 16 11月 2021 11:12)
あ